住宅業界の『歴史』 最終章
インフルエンザも完治し、一週間ぶりの登校の、りん。
元気に学校に向かいました。
でも、相変わらず流行っているそうです、インフルエンザB型。気をつけましょう。
話を江戸に戻します。
それではお話を・・・・・・
幕府の命により、耐火建築が奨励され江戸は土蔵造の街並みへと変貌を遂げました。
しかし、ある災害によりこの建築様式は一変します。
そうです。
大正12年(1923年)に起きた関東大震災です。
防火に優れる土蔵造も地震に弱い事が露呈されました。
そして、東京の土蔵造は消滅していったのでした。
関東大震災を機に、鉄筋コンクリートが注目され,全盛期を迎えます。
そして、防火、耐震性の高い鉄筋コンクリート造のアパート、建物が次々と建設されました。
時代は動きます。1933年、日本が国際連盟を脱退。
孤立化し、諸外国からの資源供給がストップしました。
資源の少ない日本は、鉄骨、鉄筋コンクリート造の建築が困難になりました。
(軍事施設を除き)
1937年、日中戦争がはじまり、1941年太平洋戦争の開戦に踏込んでいきました。
1945年、二度の原爆投下を受け、日本は敗戦を決断しました。
戦後、空襲で甚大な被害を受けた日本は、深刻な住宅不足に陥りました。
政府は、空襲被害者や引揚者向けに、応急住宅の建設を閣議決定しました。
こうして、プレハブ共同開発が進み、1949年(昭和24年)には、コンクリートブロック式の
プレハブ工法が登場。公営県営などの共同住宅に採用されました。
1950年(昭和25年)、朝鮮戦争が勃発。戦争特需のおかげで、日本は世界に類をみない
速さで復興、発展を遂げました。経済の発展に伴い、大都市へ労働力が流入し、
1954年には都市部を中心に、全国の住宅不足は280万戸にも達しました。
1950年代後半には公団住宅が建設され、供給されました。
同時にテレビ、冷蔵庫、洗濯機の『三種の神器』も、共に普及していきました。
こうして、地方から都市へ大量に人が移動し、核家族化が進み、
大量消費の幕開けとなりました。
1950年代になり、郊外型の大規模団地が建設され、
その一方で60年代半ばから第一次マンションブームが始まりました。
60年代後半には、建物の老朽化が目立つようになり、
公団団地はかつての輝きを失っていったのです。
人々のニーズは、民間のマンションや、持ち家の方へとシフトしていきました。
