住宅業界の『歴史』 パートⅣ
【享保の改革】は、様々な幕政の改革を行いました。
そして、江戸の都市政策は江戸町奉行の大岡忠相が主導しました。
これまでの大名火消、定火消に加え、町人自身による町火消を設けたのも政策の一つです。
そればかりではありません。耐火建築も奨励しました。
倹約(及び格式)上禁止していた土蔵造や、瓦葺き建築の奨励に転じました。
これにより、江戸は土蔵造の街並みへと変貌を遂げ、
幕末には表通りが土蔵造と塗屋造一色となりました。
『火事と喧嘩は江戸の華』なんて聞きますが・・・・・・
実は、僕は祭り好きでして・・・・・何度か浅草の三社祭に行きまして・・・
そして『宮出し』にも参加した時があるのですが・・・・・・
すごいのなんのって!本神輿の迫力はもちろん、喧嘩もあっちこっち!!
その時この言葉を思い浮かべました・・・
『火事と喧嘩は江戸の華』
その当時、火事も頻繁だったんでしょうねぇ~、喧嘩の様に・・・・・
一方、地方の農村部でも独自の発展を遂げていきます。
木で軸組みをし、美しい流れるような曲線と直線で作る屋根があり、
土で壁を作り、部屋と部屋は障子で仕切られている室町時代からの伝統様式。
それに加え、長年の歴史で培われた木工の技術、腕一つで様々な表現をかもし出せる左官の技術。
繊細な加工が成せる芸術品と言っても過言ではない建具の技術。
そして、それらの技術と、数寄屋造の建築様式を経た住宅は、
その地域、地場の産業・特色を取り入れ、家の様式に反映させました。
日本の伝統農家(現古民家)です。
養蚕が盛んな地域は屋根裏の空間を確保する合掌造りや兜造り、
豪雪地域は出入り口を突きだす形の中門造り、
貴重な労働資源でもある、馬の馬屋を組み込んだ曲屋造りなど、形は地域によって様々です。
そして、それらの家を建てる際、屋根の茅葺きを入れ替えする際には、
職人はもとより、隣近所総出で作業にあたりました。
『お互い様』の相互扶助の精神があったからこそ、成り立ったのでしょうね。
こうして『歴史』を振り返ってみると、
竪穴式住居に見られる集落総出の事業から、時を重ねるたびに技術の進歩があり、
専門の技術取得者が腕を奮い、時代時代の建造物を建築していく様がみられます。
